
今現在生きている方の中には、
- 平成生まれの方
- 昭和生まれの方
- 大正生まれの方
などなど、様々な方がいると思いますが、
昨年の12月8日、天皇が生前退位されることが決定したことによって、
その年号はまた次の新たなものに切り替わるということになりました。
ちなみに、天皇が生前退位されるということは、
非常に大きなニュースとして、一時毎日のように取り上げられていましたので、皆さんご存知だと思うのですが、
実際、
その年号がいつ変わるのか
ということについてご存知無い方もいらっしゃるのではないでしょうか?
ということで今回の記事では、その年号がいつ変わるのか詳しくまとめますとともに、
その次の年号の候補は現在どうなっているのかというあたりについても詳しくまとめていきたいと思います。
平成の年号はいつ変わる?

昨年末、125代今上(きんじょう)天皇明仁様の生前退位によって平成の年号が間もなく切り替わることが決定されたわけですが、
その年号は、実際いつ変わるのかということをそういえば知らないという方もいるでしょう。
ということで、結論から申し上げさせていただきますが、
現在の天皇は、2019年の4月30日をもって天皇を退位されるということが決まりましたので、
つまり、
平成は2019年の4月30日に終わり、
翌日の5月1日から年号が次のものに切り替わる
ということになっています。
生前退位が行われるのは、今の憲法が施行されてからは初めてのことで、
それが問題となって、様々な議論が行われていたことは皆さんもご存知だと思います。
ちなみに、現在の天皇陛下が生前退位の意向を示されたのは2016年の8月8日のこと、
その日「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」と称されるお言葉が全国に発信され、
それから、生前退位の日にちが決まった2017年の12月8日までには、約1年4か月もの時間がかかっています。
では、なぜ生前退位はそれほど問題になったのでしょうか?
生前退位の問題とは?生前退位が成立するまでの流れがこちら
正直、天皇の生前退位がなかなか決まらない状況にやきもきしていた方もいらっしゃったのではないかと思いますが、
では、そんな生前退位はいったい何が問題となっていたのかというと、
当時宮内庁次長を勤めていた山本悟氏は、以下の3つをその理由として説明されています。
- 退位を認めると、上皇や法皇などの存在が弊害を生ずる恐れがあること
- 天皇の自由意思にもとづかない退位の強制などが起きる可能性があること
- 天皇が恣意的に退位できるようになるようになる可能性があること
(上皇とは退位後の天皇のことで、法皇は出家された(仏門に入られた)上皇のことを言います。)
つまりまとめると、
生前退位を認めてしまうと、天皇の権力が大きくなったり、天皇の意に沿わない退位などが起きてしまう可能性がある
ということになります。
ちなみに憲法では、
「天皇による政治権力の行使」
が現在禁じられているのですが、
生前退位を認めるということはこれに違反するのでは?という見方もあったそうです。
すなわち、天皇が勝手に生前退位をするということになれば、政治権力の行使をしたと考えられてもおかしくないのではないかということですね。
また、天皇が変わるときというのは、天皇が亡くなられた時であるということが
「皇室典範(こうしつてんぱん)」という皇室に関する法律に記載されており、
これは1889年から変わることなく受け継がれてきた法律です。
しかし、生前退位を認めるとこれにも違反してしまうことになります。
というように、生前退位をめぐっては様々な問題が山積みだったため、
天皇が退位されたいという意向を明らかにしても、それをすぐに実現させることはできなかったんですね。
正直、天皇も年齢的に公務を務められるのは辛そうですし、早く楽にさせてあげてほしいと思われた方も多かったことでしょう。
なので、日本政府はそのご意向を踏まえた上で1つ1つ政治的に対処し、
その結果、2017年6月9日、
天皇陛下の退位を一代限りで認める特例法が成立。
そして、2017年の12月8日に、その特例法の施行日が2019年の4月30日に決まった、ということなんです。
つまり、天皇は4月30日をもって、第126代へと引き継がれます。
ちなみに、初めに現在の天皇を125代今上天皇と言いましたが、
この今上とは、その当時即位している天皇の呼び名のことであり、
退位された後は、大正天皇や昭和天皇などと同じく、平成天皇と呼ばれることになるでしょう。
次の年号の候補とは?
天皇の生前退位が決まり、今上天皇は2019年の4月30日をもって上皇となられるわけですが、
その翌日の5月1日には、現在の皇太子さまが天皇に即位されることに伴い、次の年号へと切り替わります。
平成は30年と4か月という期間で終了となるわけですが、
次の年号ははたして何になるのかというのは非常に気になるところですよね。
ということで、詳しく調査をしてみましたが、
残念ながら、
現時点ではまだ次の年号の候補は公開されていませんでした。
というのも、この候補というものは絶対に公にはばれてはいけないものなんですね。
ちなみに、ネット上では「安久」になるのでは?という噂も出ていますが、
現時点でそういう噂が立っているということもあり、おそらくこれになる可能性は低いだろうという話も出ています。なので、それほど信ぴょう性の高い情報というわけでもなさそうです。
ちなみに、「昭和」という年号が決まる際には、その発表がある前に「光文」になったという号外が出たのですが、
その流出があったために宮内省が腹をたて、急遽「昭和」に変更したという経緯がのちに明らかになりました。
ちなみに、じゃあここでそもそも「平成」が決まるときにはどのような候補がでていたのか、ということについてみていきましょう!
平成が決まる前の候補とは?
私たちにとって今やおなじみの平成ですが、
この平成が決まる前には、
「平成」「修文」「正化」という3つが次の年号の候補として挙げられていました。
これらはいずれも国文学、東洋史に精通した学者によって発案されたもので、
日本では、これを内閣府で十分に比較検討したうえで、決定へと持っていきます。
以前は天皇の考えに基づき決定という流れだったようですが(天皇がくじ引きで決めたなんて話も…)、
1979年に元号法が新たに制定され、そこには「元号は政令により定めること」と明記されており、
しっかりとした政府での議論の末に決定となることになったようです。
そして、今回2019年から採用される年号についても、この方法を基本として決めるといいます。
ちなみに、「平成」という言葉には
「国の内外、天地とも平和が達成される」という意味が込められており、
「史記」に記載されている「内平らかに外成る」という言葉や、
孔子によって書かれた「書経(しょきょう)」の中の言葉「地平らかに、天成る」などを考慮したうえで、
東洋史学者であり、東大名誉教授であった山本達郎氏が提案しました。
ちなみに、上記の3つの中では、「平成」以外の2つはどっちも「S」から始まりますが
昭和が「S」であったため、その時点でこの2つが選ばれる可能性は少々低かったようです。
ちなみに、年号を決めるためにはその文字が2文字であるということの他に、
「普段使われていない言葉であること」というような条件もあるそうなのですが、
十分な調査をしたにも関わらず、実は「へなり」という読み方で
「平成」という言葉が岐阜県の一部の地域の地名として過去に使われていたことが後になって発覚したんだとか。
現在は下之保村(しものほむら)という場所なのですが、過去江戸時代の頃は「平成」という2文字があてられていたそうです。
話によると、場所の区画には大字(おおあざ)、小字(こあざ)という区別の仕方があるのですが、
大字にあたる地名は調べたものの、小字に関しては調べておらず、まさに盲点だったんだそうです。
今のようにネットでパッと調べられるような時代ではありませんから、うっかり見落としてしまったんですね。
とにもかくにも、年号を決めるというのは内閣関係者にとっても非常に骨の折れる作業のようです。
まとめ
今回の記事では、この度、平成の年号が終了になるということで、
その年号はいつ変わるのか、そして次の年号の候補は何なのかというあたりについて詳しくまとめました。
今現在、次の候補はまだ明らかにはされていませんが、
説明を読んでいただければわかりますように、年号はすぐにパッと決められるものではないため、
裏ではもう次の候補を集め、選定する作業が結構進められているのではないかと思います。
ただ、その発表する時期というのも大変重要であり、実は今だにいつ発表するのかという最終的な決定はくだされていません。
また、今言えることとしては、
- 大正の「T」
- 昭和の「S」
- 平成の「H」
は避けたものになるだろうということですが、
はたしてどんな年号になるのか楽しみですね。今後のニュースにも注目していきたいと思います。
それでは今回の記事は以上になります。最後まで読んでいただきありがとうございました(^^)
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