※野々村議員て何したの?彼のやったこととその後について!

政務活動費の不正利用が発覚し、その後開いた会見で歴史に残る大号泣をかました野々村議員

あのニュースに関心があったにせよ無いにせよ、その会見自体を知らないという方はほとんどいないでしょう。

その後、あの会見動画をいじった動画がネット上で出回ったり、彼の会見をネタにするお笑い芸人さえ登場しましたが、

あの会見が面白かったというインパクトだけが記憶に残り、彼って結局何したの?と、具体的な事件の全容についてはいまいちよく知らないという方も意外と多いと思います。

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あの衝撃的な会見が開かれたのが2014年7月1日の出来事なので、もう間もなく3年が経とうとしていますが、

ここで改めて、過去に彼がやったこと、そして会見以降のその後について詳しくまとめていきたいと思います(^-^)!

野々村議員て何したの?彼のやったこととは?

野々村議員て、結局何したの?と感じている方は少なくないと思いますが、

まず初めに簡単にいうと、

野々村議員は「出張に行っていました」などと嘘をつき、そこで使用したとされるお金を生活費や貯蓄に回していたんです。つまり、国民の税金から賄われている政務活動費を、完全に個人利用していたんですね。

そして、会見でそれについて問われると、「やっと議員になったんです!」と大号泣。完全に自業自得にも関わらず、一体何を言っているんだこの人は…というお話しだったわけですが。

そんな彼が実際にやったこととは何なのか、ここでもっと詳しく見ていきましょう。

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彼が実際にやったこと、そしてその後判決が出るまでの流れがこちら!

ちなみに、野々村議員は最終的に、懲役3年、執行猶予4年という判決を受けており、この判決が決定したのが2016年の7月21日です。

というわけで、彼がそもそもどのような経緯で議員になったのか、というところからも時系列的に見ていきましょう。

  1. 2007年11月、約15年務めた川西市役所(兵庫県)を退職
  2. 2008年7月、兵庫県太子町長選に立候補。候補者3人中最下位の485票で落選。
  3. 2008年11月、兵庫県西宮市長選に立候補、候補者6人中最下位の6184票で落選。
  4. 2009年7月、兵庫県議補選西宮市選挙区(被選挙数1)に立候補。候補者3人中、最下位の33359票で落選。
  5. 2010年5月、西宮市長選に立候補。候補者3人中最下位の25924票で落選。
  6. 2011年4月、兵庫県議選西宮市選挙区(定数7)に立候補。候補者10人中、7番目の11291票で最下位ながら5度目の挑戦で初当選。ちなみにこの時、橋本徹さんが「大阪維新の会」を旗揚げしていたことに便乗して、野々村議員は、その大阪維新の会とは全く関係のない「西宮維新の会」を名乗り立候補しています。
  7. 2014年6月30日、神戸新聞の記事によって、野々村議員の政務活動費の不正疑惑が明るみにでる。(2013年に195回の日帰り出張を繰り返したとし、300万円以上を政務活動費として報告。しかし、調査の結果その交通費の領収書、現地での活動を示す記述もなかった。)
  8. 2014年7月1日、釈明会見を開くも、訪問先や相手が誰だったのかと質問されると、「相手との約束があり公表できない」と質問をはぐらかす。そして、会見途中で大号泣する。
  9. 2014年7月11日、野々村議員からの具体的な説明が得られないため、県議会は虚偽公文書作成・同行使の疑いで兵庫県警に刑事告発をする。またこの日、野々村議員は議員を辞職した。
  10. 2014年7月18日、野々村議員が、議員を務めた2011年6月~2014年6月までの政務活動費1834万円を全額返還。7月24日に入金が確認され、これによって逮捕は一時見送られる。
  11. 2015年1月、2011~2013年の間の日帰り出張の一部は「架空出張」であり、商品券、食料品などの購入にも政務活動費を利用していたとして、県警は詐欺容疑で神戸地検に書類送検。搾取の総額は220万円に上ると判断。
  12. 神戸地検はさらに詳しい捜査を進め、2013年度の計195回も含め、任期中の日帰り出張(3年間で345回)はほぼすべて虚偽であると判断。
  13. 2015年の8月、地検は被害総額は県警の調べで算出された220万円の4倍を超える約913万円であると判断。野々村議員を詐欺と虚偽有印公文書作成・同行使の罪で在宅起訴。(収支報告書の嘘の他、レシートの改ざん等も罪に問われる。)
  14. 2015年11月、初公判が行われる予定だったものの、精神的に不安定という理由などから出廷を拒否。
  15. 2016年1月26日、野々村議員がようやく出廷し初公判に臨む。この際、また出廷が拒否されないように神戸地裁より勾引状が発行される。この勾引状とは、在宅起訴などで拘束されていない被告人が出廷を拒否した場合には、裁判所が強制的に勾留させるための命令書。初公判では、起訴内容について記憶にないと連呼。自分のやった罪について断固として認めようとしませんでした。
  16. 2016年2月22日、第2回公判が開かれる。またしても記憶にない。わからないを連呼。
  17. 2016年4月25日、第3回公判が開かれ、検察側は野々村議員に懲役3年を求刑。
  18. 2016年7月6日、判決公判が開かれ、野々村議員に懲役3年、執行猶予4年が言い渡される。政務活動費を全額返金していること、議員辞職をしていることなどから、執行猶予4年がついた。
  19. 2016年7月21日、検察側、被告側の双方が期限とされていた7月20日までに控訴をしなかったので、6日に言い渡された刑、つまり有罪が確定した。

長くなってしまいましたが、彼が議員に選ばれるまで、そしてそこから犯罪者になってしまうまでの流れは上記のようになっています。

これを見ると、そもそも捜査や裁判がどのように進められていくのかということがよくわかりますね(´▽`)

また、彼については他にも興味深いニュースがあり、2015年の3月、メディアに対していっこうに姿を見せない野々村議員をフジテレビの記者が追いかけ、野々村議員が逃げまくる姿がテレビで放送されました。

実際の映像ではありませんが、以下の動画は非常に参考になりますし、見ていて面白いのでお勧めです。笑

野々村議員のその後について!

さて、そんなわけで会見以降も何かと世間を騒がせた野々村議員なのですが、そんな彼はいったいその後どうしていたのかというのは気になるところですよね。

ちなみに、そんな彼はあれだけ世間を騒がせた後も、公式ブログ、公式Twitterアカウント、公式Facebookページはそのまま残しており、しかも判決が出た後もその更新は続けていたんです笑

そして、そのブログの最後の更新は2017年の8月29日なのですが、

そのタイトルが「バイキングちちんぷいぷい」で、

内容が

有馬

です。

何を伝えたかったのでしょうか…笑

ちなみに、その2017年8月29日の更新が最後となっていますので、その後現在までの約半年間はどこで何をしているのかはよくわかりません。

まとめ

今回の記事では「野々村議員て何したの?」という方のために、彼が実際にやったことや、彼のその後に関する情報について詳しくまとめました。

あんなことがあった後ですし、もう彼は議員になることもなく、公の場に出ることもないと思いますが、今現在どのようにして生活されているのかというのは非常に気になるところですね。

また、新たな情報が入るのを待ちたいと思います。

それでは最後まで読んでいただきありがとうございました!

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