誰にでも思い出したくない苦い過去はあると思いますが、
そんな時、「そんな記憶を消去出来たらなあ」と思ったことがある方は少なくないと思います。
また、
「もしも誰かの記憶を移植することができれば、何かを1から勉強する必要もないのになあ…」
と思ったことがある方も中にはいるのではないでしょうか? 私はあります!笑
まるで人の記憶を、パソコン上でデータを取り扱うように簡単に操ることができたら、それははっきり言って少し怖いですが、
そんな話がいつか実現する日は来るのか、詳しくまとめていきたいと思います。
記憶の消去は果たして可能なのか?
まるで、いらないデータをゴミ箱に運ぶように嫌な記憶を消去することができたらそれほど嬉しいことはないですが、
実は2017年の6月に、アメリカのカリフォルニア州の研究グループによって、
まさにその嫌な記憶を消去することが可能になるかもしれないとの発表があり、現地では話題となったようです。
彼らがその研究の中で着目したのは「アセチルCoAシンテターゼ(ACSS2)」という酵素であり、これがまさに嫌な記憶を和らげるために利用できる可能性があるんだとか。
具体的には、嫌なことに限った話ではないのですが、この研究グループは、人間の記憶が再びイメージとしてよみがえる際には、このACSS2という酵素の働きが不可欠であるということを研究の中で見出したのです。
そのため、この酵素の発現を薬などによってコントロールすることができれば、過去のトラウマなどによって苦しむ人々、
特に「心的外傷後ストレス障害:PTSD」と診断されているような方々の症状緩和に利用できる可能性があるということをその有効利用の可能性として挙げたようです。
ということで、画期的な発見には違いありませんが、これは先に述べたようないらない記憶を簡単に消去できるというような類のものではなさそうですね。
しかし、確かにこういう技術の発展を望む人は多くいると思いますから、素晴らしい発見には違いありません。
記憶の移植が可能になる時代は来るのか?
さて、先ほどの話は「酵素の発現の調節によって人の記憶が蘇るのをコントロールする」という内容でしたが、
次に話す「記憶の移植」は、もともとないものを他人からもらうことができるかどうかという話ですから、酵素を利用することによってどうこうなる話ではありませんね。
記憶を移植するということはつまり、その「脳の記憶」のシステムを完全に理解する必要があるということに他ならないのですが、
実は、現時点で分かっていることは、
その記憶は、最初脳の「海馬」に記憶され
その後、必要な記憶だけが「大脳皮質」に送られる”らしい”ということくらいで、
実は、記憶については現時点ではまだまだ分かっていないことの方が圧倒的に多いのです。
じゃあ、人の記憶を1つの情報としてコントロールすることは無理なのかというと、
なんと、神経学者や脳科学者の中には、
いつかそういった記憶は電子データとして誰かに移植したり、メモリーカードに保存したりできるようになる時代が来る
と考えている方もおり、
中には本気でそのような研究に取り組んでいる方もいます。
人の記憶を電子データにする研究について
現代科学では「幽霊」の存在を、いることも、いないことも科学的に証明することはできていませんが、
もし、人間の精神とはもともと機械的に動いている1つのデータに過ぎず、いずれは人の記憶を電子情報として保存できる時代が来ると言ったら、皆さんは信じますか?
実は、そんなSF映画の題材になるような研究を現在本気で行っている人物もおり、
そんな嘘のような話を本気で研究しているのが、オランダ人神経科学者の「ランダル・A・コエーヌ」氏です。
そんな彼の過去の演説動画がこちら↓英語演説ですが、参考までに。
彼の話によると、人間の脳はその99.9%が機械的に動いているのであり、その仕組みさえ解明できれば、人間の意識は電子データとしてメモリーに保存することが可能になるのだと言います。
なんと、まさに映画の中でしかありえないような話であるだけに、にわかには信じられない内容ですが、
このコエーヌ氏、
カナダで12年間1位を獲得している「マギル大学」と、
オランダを代表する世界トップレベルの名門校、「デルフト工科大学」で勉強をしていたという、
まさに世界トップレベルの頭脳を持った存在。
そんな彼が言うのだから、おそらくそういう可能性は少なくとも0%ではないのでしょう。
また彼の他にも、その脳内のニューロンの反復活動などを完全に解明し、映像などと照らし合わせてコントロールすれば、
その記憶をまるで1つのデータとして移植することができるようになる可能性はあると述べている脳科学者もいます。
何とも興味深く、そして少し怖い話ではありますが
もしかすると、本当にいつの日か人間の記憶は当たり前のように売買されている日が来るのかもしれません。